Phase 1:沈黙と観察(Observation)

―― 言葉を奪われたことが、「超高解像度の観察眼」を生んだ。
事実(Fact)
幼少期、僕には「発言権」がなかった。 トイレに行きたいという生理現象さえ、否定され、怒られる恐怖から言葉にできなかった。仰向けになることで尿意を我慢しやすくなるということが分かり、スーパーで親にバレないように床で寝っ転がっていたことがある。医師への症状説明さえ、僕自身が説明できず、親の顔色というフィルターを通す必要があった。
解析(Analysis)
この「言語封鎖」という異常環境下で、幼い私は生存のために一つの能力を極限まで発達させた。 それは「非言語情報のスキャン能力」である。 親の眉間の動き、声のトーン、足音のリズム。言葉以外の微細なシグナルから「怒りの予兆」を察知しなければ、生存できなかったからだ。
獲得形質(Result)
この時、脳に刻み込まれた生存本能は、現在のアートにおける「画力・描写力」へと転化した。 対象をただ見るのではない。「その奥にある感情や構造」まで透かして見る観察眼は、皮肉にもこの時期の監視生活によって養われたものである。
Phase 2:支配と理不尽(Domination)

―― 暴力という変数が、「個の力」への渇望を植え付けた。
事実(Fact)
算数ができないにも関わらず、理数科への進学を余儀なくされた。 彼らは決して「行け」とは命令しなかった。「あなたのためだ」と繰り返し、最終的に僕自身の口から「そこに行きたい」と言わされるよう、巧妙に誘導された。 結果、適性のない環境で地獄を見ることになったが、彼らは「自分で選んだ道だろう」と責任を回避した。
解析(Analysis)
この経験から、「合意形成を装った支配(ダブルバインド)」の恐怖を学んだ。 「自分で決めた」という既成事実を作られると、人は逃げ道を失う。 自分の人生の操縦桿を他人に握られている状態が、どれほどパフォーマンスを低下させ、精神を摩耗させるかを身を持って知った。
獲得形質(Result)
支配への強烈なアレルギー反応は、現在の「システム構築・自由への執着」の源泉となった。 僕がクリエイティブコーディングや独学法において「再現性」や「論理」を徹底するのは、二度と誰にも支配されず、「他人の言葉」ではなく「自分の論理」で動くための「知的武装」なのである。
Phase 3:失敗と発見(Discovery)

―― 教育の敗北が、「体験学習」の優位性を証明した。
事実(Fact)
アルゼンチン人女性とは会話が成立せず、「話すこと何もないね」と断絶された。「小学生から英語を勉強しているのに、なぜ話せないの?」 アイスランドのサマーキャンプで、仲間に言われた一言が突き刺さった。日本の学校教育(座学)が、実戦で無力化した瞬間だった。
解析(Analysis)
ここで私は「学習アプローチの転換」を行った。 机上の空論(教科書)を捨て、現地でギターを買い、歌うことでコミュニケーションを図った。文法が間違っていても、音楽という「共通言語」と「伝えたい情熱」があれば、国境というバグは修正できることを発見した。
獲得形質(Result)
「才能」ではなく「発見」で描く。 私のこのマニフェストは、ここから来ている。 正しい理論だけでは足りない。泥臭い「実践」と「感情のドライブ」が伴って初めて、スキルは習得される。この成功体験が、後の海外生活への自律的な行動力へと繋がった。
※感情のドライブとは: 感情的になって泣き叫ぶことではない。 「悔しさ」や「渇望」といった心の揺れを、**前進するための「運動エネルギー」**として利用すること。 理論(地図)があっても、この燃料がなければ、人は一歩も動けない。
Phase 4:掌返しと離脱(Awakening)

―― 他者の評価というノイズを遮断し、「自分軸」を確立する。
事実(Fact)
音楽活動で優勝し、メディアに露出した途端、それまで私を否定していた親や知人が掌を返して擦り寄ってきた。 一方で、死んだと聞かされていた父との対面、祖父からの暴言と責任転嫁。 私はこれら全ての「有害なノイズ」を断ち切るため、台湾へのワーキングホリデー(事実上の亡命)を決行した。
解析(Analysis)
「他者の評価は、彼らの都合で変動する変数に過ぎない」 どれだけ尽くしても、どれだけ結果を出しても、他人の感情はコントロールできない。そこに依存するのは、バグだらけのシステムに命を預けるようなものだ。 「逃げ」は敗北ではない。より良い土壌へ移動するための「戦略的撤退」である。
獲得形質(Result)
この経験により、私は承認欲求の奴隷であることを辞めた。 台湾の人々の無償の優しさに触れ、傷は癒やされたが、同時に「自分の人生の手綱は、自分だけが握る」という覚悟が完了した。
Phase 5:結晶化(Crystallization)

―― 2100の試行錯誤を経て、「上達の研究家」へ。
現在(Now)
帰国後、私はブログを書き続けた。記事数は約2100を超えた。(700記事は台湾ワーホリ中の体験談(消去)、700記事は雑記ブログ、700記事はこのブログ) 単なる日記ではない。 約9年間のアウトプット、自己分析と環境要因の解析。 これらは全て、過去の自分が受けた圧力を「炭素」とし、思考の熱量で「ダイヤモンド」へと変えるためのプロセスだった。
私のブログにある図解や理論は、教科書の受け売りではない。 これら全ての「実体験(痛み)」を、論理でハックし、再現可能な形にまで昇華させた「血の通ったシステム」である。
過去の傷は、消えない。 だが、その傷を活かすことは、上達の壁を論理的に破壊するための最強の武器となる。
上達の研究家、Watataku。

