ワタタクどうも上達の研究家のワタタクです。
「絵を批判されたときの対処方法」という記事でも書いたのですが、身近な者に「なんやねん、その絵。」と笑われることがあります。そういったことを言う人の言葉の裏には、表現者と観測者の間にある、決して相容れない評価基準のズレが存在します。それは「完成品という果実」だけを求める視点と、「木を育てるための土壌と根」を設計する視点の違いです。
「結果」を見る人と、「過程」を描く人の違い
多くの評価は、常に「表層」に留まります。一方で、上達のプロセスを意識すると「発見(気づき)」を報酬にします。
結果主義(観測者の視点)
僕の身近にいる者は、絵が「上手いか」「綺麗か」「可愛いか」という表層的な美しさを報酬にしています。完成した「果実」が自分の好みに合うかどうかだけで価値を判断します。
そしてその絵がお金を稼いでいるか、雑誌に載ったか、有名な絵になったか。のような
プロセス主義(研究者の視点)
「昨日知らなかった法則を見つけたか」「ギザギザの歯が印象をどう変えるかを発見したか」という知覚の更新を報酬にしています。
過程を大事にする人にとって重要なのは、再現性のある「設計図」を構築することです。


プロセスの中で、発見を大切にしてきて結果に繋がったこと
僕が虎ノ門ヒルズ 49階、地上250mの場所で展示ができたのは、発見を積み重ねてきたからです。


この実績(エビデンス)のおかげで、プロセス主義でクリエイティブコーディングを学んできて良かったと心から思いました。


僕には結果主義は合わなかった
10代と20代のときは結果主義でした。
結果が出なければ、ストレスになりましたし、そのストレスが集中力を妨げる。
がむしゃらに行動してしまったし、身にならない学びが多い。
それに、音楽の関係者に「音楽を上手いか下手かだけで判断しているようじゃまだまだ。」って。
今なら色々な上手さがあることを理解できますが、当時は理解できませんでした。


発見すると笑顔になれる
過去にはブログを集団で馬鹿にされることもありました。
身近な者からも笑われることも多々あります。
でも、最近思うんですよ。以前より気にしなくなってきたなって。
それは発見の楽しさが、そういったネガティブな発言や記憶を上回るようになってきたから。
僕は一は全。全は一という考え方を大切にしていまして、その考え方を応用すると、1つの発見は、多くの発見に繋がるという感覚を味わっているからこそ、変われたのだと思います。

