※2025年12月21日(日)に公開
「僕の表現は、一瞬の閃きではない。27年の摩擦とこれからの人生、そして今日この瞬間の発見を掛け合わせた『LIFETIME-SOURCE PROTOCOL (LSP)』の産物である」
かつてピカソは「これを描くのに40年と30秒かかった」というエピソードがあるように、僕の活動もまた、単なる「作業時間」で測ることはできません。
15万の記事、15万の作品制作を目指す裏側には、僕の全人生が流れています。
LSP(LIFETIME-SOURCE PROTOCOL)とは何か?
LSPを一言で言えば、「日々の何気ない気づきを、27年の人生の摩擦とこれからの人生というフィルターを通して、『表現』へと変換するための共通規格(プロトコル)」のことです。
プログラミングの世界には、異なるツール同士が対話するための共通ルール「プロトコル」が存在します。僕はそれを、自分の人生に適用しました。この規約があることで、バラバラな「点」である日々の思考が、一つの「線」として作品へと繋がっていきます。
- LIFETIME(人生): 27年の沈黙と上達への渇望が、言葉の重み(指数)となります。
- SOURCE(種): 日常のノイズや名言は、消費される情報ではなく、表現を生むための「種」です。
- PROTOCOL(規約): 「気づいたら、形にする」。この絶対的な手順を自分に課しています。
開発者の視点:なぜ「プロトコル」なのか
プログラミングの世界には、Microsoftが提唱した Language Server Protocol (LSP) という共通ルールが存在します。VSCodeなどのエディタと言語解析ツールが対話するための「通信規約」であり、自動補完やエラー指摘を支える技術です。
僕は、自分の人生を表現へと繋ぐために、この名を自分なりのLSPとして言い換えました。そこには2つの鋭いメタファー(比喩)を込めています。
- 人生と表現の橋渡し: ITのLSPが「エディタと言語」を繋ぐように、僕のLSPは「僕の人生(Life)」と「作品(Art)」を繋ぐ共通ルールとして機能します。
- 自動的な価値変換: エディタがエラーを自動で指摘するように、僕のLSP(規約)に従えば、日常のノイズ(Source)は「自動的に」価値ある表現へと補完・変換されていきます。
ただの日記という「点」で終わらせない。このプロトコルを通して、僕の27年という時間のすべてを、一つの巨大な「表現の資産」へと書き換えていく。それがLSPという名に込めた覚悟です。
価値を導き出す「上達の数式」
僕が生み出す全ての表現は、以下の数式によってその価値が定義されています。

なぜ「Hand(身体性)」をマイナスするのか?
一見、マイナスという言葉はネガティブに感じるかもしれません。しかし、この引き算こそが、僕が「人間であることの摩擦」を意味しています。
- 理想(Source)と現実(Hand)の乖離: 頭の中にある完璧な理想(Source)を、70g/m²などの紙に鉛筆で刻もうとするとき、必ず「ズレ」が生じます
- 不完全さという人間性の証明: AIはプログラム(Source)を寸分違わず実行しますが、人間の手(Hand)は震え、筆圧が揺らぎます。この「理想から引き算された不完全な跡(Trace)」こそが、AIには決して真似できない人間固有の情緒となります
- 摩擦から生まれる熱量: 理想通りにいかない葛藤、その「引き算」から生まれる精神的な摩擦が、表現に魂を宿す
数式の構成要素
| 要素 | 意味 | 役割 |
| Source | 思想・気づき | 表現の原動力となる「高純度な燃料」 |
| Hand | 身体的な跡 | 鉛筆で刻まれる「不完全な人間性の証明」 |
| t | 時間の重み | 27年の摩擦とこれからの人生という「指数」 |
| Code | 論理(Logic) | 幾何学や数学によって価値を拡張する「加速装置」 |
| Uncharted Value | 未踏の価値 | 新しい表現 |
この数式によって、まだ誰も見たことのない表現が生まれやすくなる。
LSP:日記を「高純度な燃料(Source)」に変える
当ブログに書いてある「哲学・思想・名言・気づき・日常の発見」は、単なる記録(日記)ではないです。それらはすべて、未踏の表現を生み出すための「高純度な燃料(Source)」として定義されています。
- 文脈の貫通: 1つの気づき(Source)を起点に、論理(Logic)と身体性(Hand)を介して価値(Value)へと昇華させる一筆書きの設計を、本プロトコル(規約)として全ての記事に適用
- 思想の再定義: 日々の心の揺らぎや名言からの学びを、クリエイティブコーディングと手描きの絵を構築するための「作品テーマ」として扱います。
上達の研究家としての矜持
たとえ数行の短い記事であっても、数分で描き上げた絵であっても、そこには LSP というシステムを通じた「人生の重み」がのっています。
僕は「才能」という言葉に甘えない。「論理」と「感性」の積み重ねを信じる。
読者の皆様へ
当ブログは、一人の人間が「上達」という名の聖戦に挑む研究報告書です。 一つ一つの記事は、僕の LIFETIME-SOURCE PROTOCOL によって連結された、巨大な知のネットワークの一部なんです。
記事を読んで目にする一つの言葉、一つのコードの裏側に流れる「27年の摩擦と今日という瞬間の重なり」を感じ取っていただければ幸いです。

