ワタタクどうも。クリエイティブコーディングの上達の過程を伝え、15万の記事、15万の作品制作を目指しているワタタクです。
最近、僕の心を鷲掴みにして離さない言葉があります。 それは、アニメ『無職の英雄』シーズン1、エピソード3で、主人公のアレンが放った一言。
「どうして決めつける?」
アニメ 無職の英雄 〜別にスキルなんか要らなかったんだが〜 シーズン1 第3話 Huluの05:06分より引用
短い、しかし、あまりにも重い問い。 この言葉を聞いた瞬間、僕は自分自身に言われたような気がしました。
「あんた、変わってるなぁ」「運転免許をとるのは当たり前」「飲み会に参加しない?お前そんなんでこれからどうやって生きていくの?」 数え切れないほどの「決めつけ」という名の矢に射抜かれ、僕の心はハリネズミのように尖っていました。そしていつしか、僕自身も「どうせ自分なんて…」と、自分で自分を決めつける、最悪の呪いをかけていたのです。
今日は、この「決めつけ」という、誰の心にも潜む透明な檻の正体と、そこから抜け出すための話をしようと思います。
この記事を書いた人


- クリエイティブコーダー / アーティスト
- 「人の心に寄り添う、機能するアート」を探究しています
- アートとテクノロジーが、社会や個人のウェルビーイングにどう貢献できるかに、関心があります



それでは今日もレッツワクワクコーディング。
なぜ、僕たちの脳は「決めつける」のが大好きなのか?
不思議に思います。 なぜ、僕たちはこんなにも簡単に、物事を決めつけてしまうのか。 「AB型は変わってる。変人。」「若者はこれだから…」「このやり方が一番正しい」 こうした決めつけは、実は僕たちの脳が、エネルギーを節約するための、超優秀な「自動運転モード」だから。
僕たちの脳は、毎日、膨大な量の情報に晒されています。その一つ一つを吟味し、判断していたら、あっという間にエネルギー切れを起こしてしまう。 そこで脳は、過去の経験や知識から「ショートカット(思考の近道)」を作り、「これは、たぶん、こういうことだろう」と、瞬時に結論を出してしまうのです。
この機能は、生き残るためには不可欠。だけど、この自動運転モードに頼りすぎると、僕たちは新しい景色を見ようとせず、いつも同じ道をぐるぐる回るだけの、退屈なドライブを続けることになってしまうのです。



何型ですか?と聞かれて、AB型と言うとその場がシーンと冷めた経験もある。ABって一言で場の空気が変わるってのを経験できたのは貴重だけど、気分は良くなかったね。
「決めつけ」が、僕たちの世界をどれだけ狭くしているか
「僕には、絵の才能がない」 そう決めつけた瞬間、僕たちの世界から「画家になる」という未来の可能性が、物理的に消滅します。
「この仕事は、こうやるべきだ」 そう決めつけた瞬間、もっと効率的で、もっと楽しいやり方が存在する道が固く閉ざされる。
決めつけとは、無限の可能性を自らの手で「壁」を築き、世界をどんどん狭くしていく行為なの。 僕が住んでいたのは、そんな壁に囲まれた、息苦しい独房でした。



男は運動部に入るもの。家族は怪我がしやすい僕の体の特徴なんて全く考えてくれず、性格も考えてくれなかった。
僕たちが使っている「心の物差し」、本当に正しいですか?
僕たちは皆、自分だけの「物差し」で世界を測っています。 その物差しは、育った環境、読んだ本、出会った人々によって形作られてきました。
問題は、ほとんどの人が、自分の物差しが、世界で唯一の、絶対的に正しいものだと信じ込んでいることです。そして、その物差しに合わない人や物事を、「間違っている」「おかしい」と決めつけてしまう。
僕を支配してきた人々も、彼らなりの「正しい物差し」で、僕を測り、裁いていました。 しかし、「どうして決めつける?」というアレンの言葉は、僕に改めて教えてくれたのです。
物差しは、一つじゃない。 センチメートルの物差しもあれば、インチの物差しもある。角度を測る分度器もあれば、重さを測る天秤もある。 大切なのは、自分の物差しを疑い、「あなたの物差しでは、それはどう見えるのか?」と、相手の世界に興味を持つことなのかもしれません。



常識を疑うことができるようになったきっかけは、海外でサマーキャンプに行き、外国の仲間の考え方に触れたこと。彼らは自分自身の考えで、自分自身の人生を生きていたことがかっこ良かったし、本当に参考になった。
なぜ、最高のアイデアは「決めつけない心」にしか舞い降りないのか
クリエイティブコーディングの世界では「バグ」は敵です。 そう、決めつけていました。
しかし、先日書いた準備中の記事:「セレンディピティ」の記事でも触れたように、独自の画風は、コーディングの「失敗」という名のバグから生まれることもあります。
もし僕が、「バグは悪だ。すぐに修正すべきだ」と決めつけていたら、その美しい偶然の贈り物から何も学ばずに、ゴミ箱に捨てていたでしょう。



「失敗」を「面白い実験データ」と捉えること。 「無駄」を「豊かな寄り道」と捉えること。 「間違い」を「新しい発見への扉」と捉えることは大事。
決めつけない心とは、あらゆる可能性に対して、扉を開き続ける姿勢。
最高のアイデアやインスピレーションという名の、はにかみ屋なお客様は、そういうオープンな心の家にしか、訪れてはくれないんだと思う。
決めつけと言う名の呪いを解くための3つのステップ
では、どうすれば、この無意識の呪いを解くことができるのでしょうか?僕が実践している3つのステップを紹介します。
ステップ1:自分の中の「〜べきだ」という声を捕まえる
「男はこうあるべきだ」「クリエイターはこうあるべきだ」「もっと頑張るべきだ」。一日の中で、あなたが無意識に使っている「〜べきだ」という言葉に、意識を向けてみる。それが、あなたの決めつけの正体です。
ステップ2:その声に「本当に?」と問いかける
「〜べきだ」という声を捕まえたら、すかさず心の中で、小さな探偵のように問いかけます。「それって、本当にそうなの?」「誰が決めたの?」「そうじゃなかったら、どうなるの?」と。この問いかけが、凝り固まった思考にヒビを入れます。
ステップ3:意図的に「別のメガネ」をかけてみる
自分が絶対に選ばない色の服を着てみる。いつも批判している人の、良いところを無理やりにでも3つ探してみる。自分の作品を、わざと上下逆さまに見てみる。この「別の視点を強制的にインストールする」訓練が、あなたの心を驚くほど柔軟にしてくれます。



上記の3ステップに書いたことを、紙に書き出すと決めつけを解呪しやすい。
「決めつけない」は、あなた自身への最高の優しさ
「どうして決めつける?」 この問いは、他者に向けるだけでなく、何よりもまず、自分自身に向けてあげるべき言葉なのかもしれません。



僕はなんてダメなんだろう?と思ったときに、「どうして、自分はダメだと決めつける?」と紙に書いて考えてみる。
決めつけないこと。 それは、未完成で、矛盾だらけで、不器用な、ありのままの自分を、ただ、そのまま認めてあげるという、最高の優しさであり、究極の自己肯定にもなる。
自分は本当にダメなのか?という問いに答えていくと、できたことを書き出したり、自分の良さを見つけたりできて、ダメじゃないな。と思えるようになる。
家庭環境と社会の常識で、長年いろいろな決めつけを与えられると、これはこうだって考え方が固定され、考えることを奪われる。
だからこそ決めつけを疑い、紙に自分への問題として書き出し、答えてみる。その繰り返しが物事を最初から決めつけないようにする自分になっていくんだと思う。
僕はだんだんそうなってきているように感じる。
「どうして決めつける?」
アニメ 無職の英雄 〜別にスキルなんか要らなかったんだが〜 シーズン1 第3話 Huluの05:06分より引用
という言葉で改めて決めつけるということに関して考えるきっかけになりました。良かったら見てくださいね。



それでは今日もレッツワクワクコーディング。

